てんやわんやの年末
今年はなんだったんだろう。
2023年も終盤にさしかかって、いままさにそんなことを考えている。2023年は、僕にとってなんだったんだろう。
1993年生まれの僕にとって、今年は自分が生まれて30年というひとつの節目のようなものであった。その年は特になんの問題もなく普通に過ごせるだろうと根拠もなく思っていた。
しかし、前に宣言したようにどうもそうは転ばなそうである。いま転職活動をしている。
また、人生で何回目かくらいに本気で結婚を考える相手ができた。仕事だけでなくプライベートも、これからまさに人生の転機が訪れるという瞬間である(なぜ重なるのか。神のいたずらか。検討がつかない)。
少なくとも、遠くない将来になんらかの意思決定をしなければならない。いまそういうフェーズである。
転職活動の所感
さて、転職活動をしていて思うのが、良くも悪くも自分はこれで良いのだということだ。
もちろん採用面接で、非常識な振る舞いは避けた方が良い。無断で欠席するとか、あまりにも長期間にわたり連絡をとらないとか、明らかに自分を問題がある人間だと演出するとか1。
しかし、別に聖人君子であるとアピールする必要もない。自分のことをありのままに伝え、自分はこう考える、自分はこうは考えない、ということをコメントするのが相手にとっても自分にとっても良いのだと思うようになった。
無理して他の候補者に「勝つ」必要もなければ、無理して相手に好かれようと「努力」する必要もない。普通の自分をそのまま見せて、それが相手に、そして貴社に合うかをフラットに判定してもらえればいい。
自分が面接官をした経験では、明らかなNoを除けばYesというよりNoを言う方がはるかに難しいことがわかった。明らかなNoならば自分の努力・スキル不足だし、悩んだ末のNoであったならばそれはきっとその人なりに真剣に考えた結果なのだろうと思う。
だから僕のやるべきことは「ちゃんと向き合っていただき、ありがとうございました」と感謝することしかない。
そしてその人を入社させるべきかという問いに対し、真剣に答えを探せない会社や面接官が在籍している会社なら入社する価値もない。良い会社に入ろうと思えば候補者に真剣に向き合っている会社に入るのが良いに決まっている。真剣に向き合うからこそNoを言えるのだ。
面接を機に振り返る過去
さて、面接などで自分の過去を話したりしていて、思ったことがある。
僕の人生の転機は2種類しかない。仕事(や学業)をやめたときと、恋人と別れたときである。
こういう言い方をするのは恥ずかしいのだが、まぁこれ以外に表現のしようがない。
昔、森博嗣が何かのエッセイで、なにか新しくしたいのであれば何かを足すのではなく何かをなくす方が良いと書いていた2。森博嗣は実際に、会話文が面白いと言われたので会話をなくした小説を書くなどをしたことがあるらしい。
意識してなにかをなくしたことはないのだが、僕の人生もそのようにして新しくなった。学業とか仕事とか当時の恋人とか、なにかそのときの人生の中で大きな比重を占めていたものをいきなりなくしたとき、そこにすぽっとハマるなにかがやってくる。
とても不思議だが、僕はずっとそうやって生きている。
大学院をやめたときに仕事のほうからやってきた。僕はいまでもその職場に感謝している。もう一回働きたいかと言われるとちょっとはてなだけど。
ある人と別れたことを契機に、それをきっかけに機会があって自分とはなにかをやっと見つめられるようになった。そして、自分とはなんなのかがここにきてわかってきた感覚がある。それは現在進行形で、いまも僕は自分に対する自信を深め続けている。
そして今回、唐突に会社をやめることになった。そしてまた、僕の人生にはすぽっとハマりそうななにかがもうすでにやってきている。
まったくもって意味不明である。なんだこの人生。
いつも自分の意思で
人生で大切なことはすべてメタルギアソリッドから教わったのだが3、そのうちのひとつにグレイフォックスの名言がある。
俺たちは、政府や誰かの道具じゃない。闘う事でしか自分を表現出来なかったが、いつも自分の意思で闘ってきた。
最近気づいたけど、僕もこの言葉通りに生きている。
「会社や誰かの道具じゃない。働くことでしか自分を表現出来なかったが、いつも自分の意思で働いてきた」のだ。
学業も仕事も、やめると決めたことはいつも自分の意思だった。そしてもちろん、始めるのも自分の意思だった。自分に嘘をついてまでやらないといけないことはこの世にひとつとしてない。
始めると決めたことも、やめると決めたことも、すべて自分で決めたからこそ正しい。
そして、胸を張って自分の生き方が正しいのだと思えているうちは僕は大丈夫だと思う。
🎧今週の一曲🎧
今回は凛として時雨の Marvelous Persona
先日、東京ガーデンシアターで行われたライブに行ってきた。そのセットリストにも入っていた1曲。
僕はたぶん音楽に対する感性がそこまで鋭敏じゃなくて、ライブで身体で音を感じているとすべてがどうでもよくなる。わりと誰の曲であっても楽しいし、なんなら曲が流れてなくても勝手に盛り上がれるかもしれないとさえ思う。
そんな僕だけど、凛として時雨のライブはやっぱり自分にとって特別だ。当時まだ大学生だった僕にとって、今まで知っていたあらゆる音楽がすべて塗り替えられるような衝撃だった。
あれからもう8年くらい経つのかと思うと感慨深い。僕は仕事を始める前から凛として時雨が好きだったんだ。
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Meta社のFounderであるMark Zuckerbergが、Sequoia Capitalとの面談にパジャマで現れたのは色々な本などで書かれているエピソードであるが、このエピソードは力関係がFounder側にあるから成り立っている。
どの本かわかる人、教えて欲しい。
諸説ある。おそらく森博嗣からも教わっているし、やがて君になるからも教わっている。