京都に行ってきた
京都旅行してきた。
今回の京都旅行のテーマは「寺に行かない」1だったので、神社に行った。
今の僕には神社のほうがブームで、寺の気分じゃない。が、ChatGPTに京都で有名な神社を教えてって言ったら清水寺とか言ってきて「清水寺は神社じゃありません」などという不毛な応酬をした。
久々に京都に行ったし、久々に観光らしきことをしたのでけっこう面白かった。
日が良いのか悪いのか、とても暑くて大変だった。そしてわりと長く歩いたので疲れた。
伏見稲荷の鳥居が連なっているのはいつかみたいなと思っていて、今回実際に見られたのでとてもよかった。
観光地以外のところではどれくらい外国人観光客がいるのかとか、そういうのもこの目で見られてよかったと思う。八坂神社で白人のツアーガイドさんが仕事をしているのを見て、暑い中大変そうだなと思った。
そのうち出雲大社に行きたい。辺境だし、神社だし。京都はちょっと都会すぎた。
旅先ではなんでもないものを食べるのが好きなのだけど、今回は豚の生姜焼きを食べた。
こういう、なんでもないもののほうがその土地をよく表す気がしている。九州とかにいくと特に思うが、特別な値段の特別なものを食べなくてもおいしい。そして京都も、わりと美味しい気がする。
東京もオフィス街とかだとなんでもないものがふつうに美味しい店があるが、どうもビジネスマンに最適化されすぎている気がしなくもない。
そして、名古屋は基本的に立地のいい店はまずいので行かない方がいい。ほんと名古屋の居酒屋はなんであんなにまずいんだ。
帰省もした
名古屋の悪口を言ったけど、実家にも帰った(僕の実家は愛知県で、いわば名古屋の郊外にある)。別に何もしなかったので、特に書けることはない。あぁ、家族でうまい焼肉を食べには行ったな。
姉が最近よくコストコに行っているらしくて、コストコのパイを食べたりとか、お菓子をたくさんもらったりとかした。食べてばっかりぐうたらしていた。
あまりにもぐうたらしすぎていて、東京に戻ってくるまで普段ならやっているはずのことを何もしていなかった。散歩も、運動も、ポッドキャストを聴くことも、読書も、こうした執筆活動もなにもかも。
いままでは、休みを使って旅行とか観光に行くということが全く理解できなかったのだけど、どうも今回の旅行と帰省でやっと意味がわかった気がする。
自分の家にいる間は終日寝ていようが、仕事とは関係ないことをしていようが、それは車で言うアイドリングみたいな状態で、エンジンが止まってはいない。東京にいる間、僕は常に臨戦体制で、ほとんど土日に働くことなんてないけど、いざ必要があれば、そして隙あらば常に仕事のことを考えている。
なぜならばそこが僕にとっての主戦場だからだし、休日が終われば即座にエンジンをかけられるようにするためだ。まさにアイドリングだ。
一方で、今回の旅行や帰省は労働に関連するエンジンが完全に止まった感じがした。Slackも頭に入らなかった(東京に戻ってから読んで返信が必要そうなものをリマインダーにつっこんだ)。いつも欠かさず聴いているVCの3人のPodcast、Repeat Rhymeも聞かなかった。
とはいえ僕は旅行が好きじゃないことには変わりがない。エンジンをもとに戻すのが嫌だ。原発と一緒で、一度動いたら可能な限りずっと動かし続けたいと思う。その方が楽だ。
実家のぐうたらモードから、東京の自宅に戻るまでの過程で自分の脳の状態を切り替えるのがとても億劫だった。まぁ、駅でせかせかしている人とか見ていたら勝手に切り替わるんだけど。
場に働かされる
そう考えていくと、どうも自分が働いているのではなくて、自分がいる場所に働かされているのではないかというように感じる。
その視点で見れば、かつて複数の拠点を持つ会社で働いた時の拠点ごとのビジネスに対する温度感の差とか、いまのフルリモートワークで働く時の個々人の意識の差みたいなものも合点がいく。
東京というピリピリとした空気の元で働く2のと、僕の地元で一緒の会社で働くのは、たとえフルリモートワークで物理的には可能なのだとしても、どうも(放っておけば)全く違う仕事への向き合い方になるような気がしてならない。
僕は地元や実家で、事実ニュースレターの一本も書くことができなかったわけだし。
自分の中では、リモートワークの本当の難しさを考えるのがひとつのブームだ。その難しさのひとつは「団結する」ことの難しさにあると思う。そもそも場所が近くにいても団結するのは難しいのに、離れていれば尚更だ。
団結することの重要性を説明するのは簡単だ。例えばサッカーで、2つ作戦があったとして、意見が割れてどっちの作戦を採用するか決まらないまま試合に突入したら絶対に負けるだろう。戦術や個々人の能力がどれほど良いものであっても、統率のとれていない組織は負けるのだ。
ではいかに団結するか。それが株式会社の成長を大きく左右するのだが、リモートワークはそれにシンプルな障害を突きつける。全員の距離が物理的に離れているためだ。
もちろん、これを乗り越えていきたいという気持ちはある。しかし、我々がホモ・サピエンスである以上、実は乗り越えられないのではないかという懸念がある。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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否定文で旅行のテーマを決めたのは初めてな気がする。
それはそれで居心地の良いものではないけれど。