2022 年 11 月、特に意味もなく毎日ブログを更新していた。
別に何かを実現したいわけでもなんの戦略があったわけでもないし、自分がいま時間を使うべきことはこんなことじゃないなという気がどんどん気がしてきたのでやめた。ブログを書くにしても違う形がいい。
一方で、違う形が何も思いつかないのもまた事実なのだ。僕はどうすればいいのだろう、という気持ちがある。この記事はそういう内容である。
ブログを毎日更新することはさほど難しくない、ということがわかった。毎日更新することが目的なので、別に工夫することもない。その日考えたことだったり、気づいたことだったり、最近やっていることだったりを書けばいいだけだ。
でも、それをやっても別に自分の中に何かが生まれている感じはない。
イメージとしては Twitter をやっているような気持ちだ。Twitter をやっていると、熟慮だとか思考みたいな過程をすっ飛ばして、自分の脳が動物的になっていく感覚がある。どんどん理性的じゃなくなり、感情が煽られ、短絡的なアウトプットに陥っていく感覚があった。
そこでブログにしてみたのだけど、結局毎日という単位は僕には頻度が高すぎるらしい。これまたどんどん理性的でない、短絡的なアウトプットに落ちていった。それが毎日更新の感想である。
元々成り行きで始めたので、始めたのは偶然だった。意識的にやめた。
ところで note というプラットフォームがある。はっきり言って、いま日本語の文章を書くなら note のほうがいいと思う。どう考えても利用している人が多いだろうし。
しかし、僕は note にあまり文章を書きたくないということがわかった。貶めるつもりはないのだけれど、どうも気が乗らない。note に書くくらいなら違うサービスを使いたいなと思う。
理由は、よくわからない。たぶんひとつではないし、機能が少ないとかそういう問題ではない。
元々そう思っていて、この 1 年はなるべく note に書こうかなと思っていた。しかし行動できていたのは前半だけで、今年の後半からは結局 note はほとんど書かなかった。気乗りしなかった。
合わないみたいだし諦めるしかないかと率直に思う。
知らない人も多いと思うけど、僕はかつて毎週日曜日にニュースレターを更新していた時期があった。
自分が何か記事を書く頻度として、これがちょうどよかったなと思う。そしてニュースレターというちょっといっぽ遠さ、リアルタイムではない感じ。この前時代的なものが好きだ。
Substack はエディタも使いやすい。やはりニュースレターをやるのがいいのではないだろうか、という気持ちが再燃している。
いま iPad でこの記事を書いている。普通に Safari で使える。ネットにつながってないと更新できないが、それさえ除けば申し分ないのではないだろうか。
定期更新が復活するかはわからない。しかし、ブログで何かしたいと思わなくなった今、そして note 書きたいとも思わない今、妥当な選択肢がとにかく思いつかない。1ヶ所に集めるならブログにする気がするけど、イロを出すなら Substack でニュースレターをやるほうがいい気がしている。