#55 無駄な時間を割く勇気
インプットが効率的なだけが人生ではないって話
自分の頭の中を、いま大きく2つのことがめぐっている。
ひとつは、会社のことについてだ。まだ何も決まっていないが、自分の仕事の仕方や役割が多かれ少なかれ変わる可能性がある。それについて事前の準備をしたいと思っている。
次に、株式会社COTENが発表していた女性の社会参与についての音源が公開されたことだ。僕もCOTENCREWだったので招待された(僕自身も3人まで招待できるらしい。もし聞きたいのに聞けていないという方は興味があれば僕個人に連絡ください)。
モヤモヤ考えているというよりは、早く聞きたいなと思っている。ダイジェスト版だけでも聞きたいなと思っていた。
日曜の朝にこれくらいのモヤモヤを抱えて起きたわけだが、僕はそれらについて考えずに1時間ほど過ごしていた。家族(といってもいまは妻ひとりだが)とともに過ごしていたからである。
独身時代に比べて、自分にとってなにが大事なのかを考えることが増えた。
ひとりで過ごす分には、誰に気を遣うこともなくいろんなことをしていた。
そこには本を読む時間やインプットをする時間があった。もちろん、無駄な時間を過ごしていたこともいっぱいあるが、インプットの時間が多かった。
しかしいまは、逆にまったく「意味のない」時間を意識的にとるようにしている。ここでいう「意味のない」というのはお金を生んだり節約したり、自己成長につながったりという観点でのことだ。
家族と過ごす時間というのは、その過程で何をやっていようが、価値のないことなどないと考えている。
特に統計的な裏付けがあるわけではまったくないが、家族や共同体の結びつきは、結局どれだけの時間を心地よく過ごせたかで強度や信頼が決まってくるのではないかと思う。
なんだかんだで会社で飲み会をしたがるのも、きっと共同体として結びつきを強めたいという欲求の現れじゃないかと思う。
そこでどんな話をしたとか、知識や情報、学びを得られるかどうかとかは関係ない。そこでともに過ごしたという事実だけが大事なのだと思う。
つまり情報の入力や思考のためのトリガーを増やすためには意味のない時間だが、共同体としての結びつきを強くする時間として、僕は家族との時間を意識的にとるようにしている。
日曜の朝から、仕事と社会科学のコンテンツを頭から追い出して、動画をみたりゲームをしたりする。これこそがむしろ最も優先順位の高いことだと思っている。
今週の読書
今更ながら、森博嗣のω城の惨劇を読み始めた。
実はだいぶ前に買っていたのだが、まったく読んでいなかった。理由はGシリーズの最終作だと気づいていなかったからである。
ずっと仮題の『ωの悲劇』というタイトルで出ると思い込んでいたので、マイナーチェンジされただけで別作品だと思い込んでしまった。
ということで数年遅れて読んでいるが、Gシリーズらしく少なくとも途中までは死ぬほど面白くない(※まだ最後まで読んでいない)。Gシリーズは全部そうで、とにかくつまらない。
つまらないのに、読んでいる。不思議なシリーズである。


