#39 しばらく勉強をやめる —— 注意資源の有限性と幸福のはなし
注意をどこに向けるかは、どう生きるかである。
日々の読書をやめた。
本を読むことをやめたわけではない。しかし、本を読む習慣を失ってもよいということにした。月に1冊は本を読む日々だったが、その数値目標にこだわることもやめた。
InstagramやTikTokは必要なとき(そのプラットフォームで調べたいことがあるとき)以外はアンインストールするようにして久しい。Xも、毎日のように見ているが投稿の頻度をなるべく減らしている。YouTubeも決まったチャンネルばかり見ていてザッピングはしない。
ニュースも、なるべく新聞を見るようにしている。速報の通知は切って、ニュースレターなどを経由して読むようにしている。ランキングなどは目に入ってもクリックはしない。
なぜか。
ひとことで言えば、注意資源こそが最も大事な資産であると気づいたからである。
注意資源とは
注意資源とは、人がなにかに意識を向けたり、集中したりする際に使う脳のエネルギーや容量を指す。心理学ではこれを“有限のリソース”とみなす。
例えば、スポーツの試合や大会などの本番直前に、なにか本を読んだり集中して勉強したりすることは難しいだろう。これは、注意が試合や大会に持っていかれているからで、それ以外のことに十分に自分の注意を割くことができないのだ。
例えば仕事をしていて、理論上は4時間働くより8時間働くほうが仕事が倍進む。しかしみなさんご存知のように、現実はそんなに簡単ではない。
なにかを見たり、聞いたり、考えたり、判断したりするといった認知活動のすべてにおいてこの注意資源は消費されてしまう。だから使いすぎると集中力の低下やミスの増加につながる。
朝に頭を使う仕事をし、午後や夕方から単純作業をするようなライフハックがあるが、これは注意資源の配分の観点から理にかなっている。
注意資源は休憩や睡眠によって回復するが、もちろん注意資源が不足していて無駄にした時間は戻らない。したがって、日々の活動で意識的に注意資源を管理することが時間を無駄にしないために重要である。
まとめると、自分のいまこの瞬間になににどれだけの意識を向けられるかを注意資源と呼ぶ。そして、注意資源は自分がなにかを実現するために最も重要なリソースである。
なぜ注意資源が最も重要だと思ったのか
自分の生活のボトルネックになっているから
最近、僕は時間がないと思わなくなった。
まず、このこと自体はとても好ましいことだ。このニュースレターでも継続して書いているように、僕は自己管理を徹底している。GTDの運用は継続しており、日々迷いなく実行ができている。
だから、時間がないと感じなくなったのだと思っていた。
しかし、迷いなく実行ができているのにも関わらず、満足していない自分も発見した。実際、自分にはできていないことがまだまだたくさんある。
なぜそのようになるのか?
それは注意が足りていない、気が散っているからなのではないかという仮説を立てた。
時間は足りている。しかし注意は足りていない。だから自分がやりたいことを十分な質と量ができていないのではないか?
言い換えれば、ボトルネックは時間という外部リソースから注意という自分自身のリソースへと移動したのではないか。
「なにをするか」を決めるために必須だから
人生で、最も重要な問いは実行内容の選択である。どんな行動をとるかといっても差し支えない。
人生における難しい問題——結婚すべきかどうか、独立するべきか転職するべきか、組織をどう変えていくか、子供はいたほうがいいのかどうか——に立ち向かうために、今日なにをするかを考え、自分の思っていることを実現するために前進する。
これには相応の注意資源が必要だ。長期間、継続的にひとつのプロジェクトに注意を集中させ続ける必要がある。
こうした注意を向ければこそ、行動をすることができる。行動すると結果が返ってきて、スキルが上がったり認知が更新されたりする。結果としてうまくいったことが、自信になり次の行動を生んでいく。
つまり注意資源は、中長期的になにを「やる」かという問いに答えを出すためのエンジンである。そして、「やる」を通じて自分に自信をつけ、「やる」から「できる」に変えていく。そのために必要なのが注意資源なのだ。
つまり、人生を変える第一歩は注意資源だ。注意資源がなければ、無意な人生を過ごすばかりになる。
なぜ注意資源を管理したいのか
ここまで注意資源について語ってきた。
ところで、注意資源という資産を管理するのはもちろん手段であって目的ではない。
だから、注意資源の管理を通して僕がなにをしたいのかを話さないとこの議題の意味がない。この節ではそれを書こう。
端的にいうと、自分はいまやらないといけないことだけで僕が持つ注意資源の総量を超えている。だから、注意資源をセーブして日々やらないといけないことにいまは意識を集中させたい。
僕が自分の生活で、十分に注意を払える領域はせいぜい3つか4つくらいしかない。日々の生活と仕事ともうひとつかふたつくらいだ。
それがいま、僕は親族への結婚披露宴の準備で占められている。
それどころか、披露宴に加え、仕事が新職場で日が浅いというのもあり注意がそちらに向かうことで日々の家事などの日常生活に少しずつ支障をきたし始めている。
であれば、いま自分がなにかをしたいと思っても、やるべきタイミングではない。注意資源が十分にないからだ。
いまこのタイミングでは、他のことに注意を払うのではなく、日々の生活や自分の環境にもっと注意を払って、よりよい生活の基盤を固めたい。具体的には、部屋の片付けをしたり読まない本を処分したりしたい。
こうして稼いだ注意資源を使って、披露宴のプロジェクトの推進や新職場への適応を実施しながら、日々の生活をよりよくしていきたい。
もちろん、僕にもやりたいことがいろいろある。ソフトウェアエンジニアなのでいまAI活用のトレンドとかも気になっている。参院選などを見て日本の政治の動向も気にしている。ブログやこのニュースレターをもう少し頻度上げられないかなとかも思っている。
ニュースやSNSのザッピングをしているのも当然面白い。動画を見たりしていて、それも娯楽として楽しい。
戦後80年というのもあり、昨今の世界情勢も相まって第二次世界大戦の勉強とかもしたい。また、自分なりに勉強したい観点がいくつもある。
しかし、これらすべてを同時にこなすことはできないと悟った。
だから、いまはやることを選別した。勉強だとかAI活用だとかは、本当はいまやりたいことだが、いまはやらなくてよいと判断した。
僕がいま注意を向けるべきは、親族との関係性を作ることと、新しい職場に適応することなのだ。
注意資源の管理をするために
細かい施策を日々実践している
正直にいって、やっていることはとても地味だしひとつひとつは大きなことではない。
重要なことはいまなにをするかではない。試して効果を検証し、かつ成果が出たものは継続することが重要だ1。そして、今後も施策を増やしていく予定だ。
ただ多くの施策は仮にうまくいっても、毎日実践するのは難しいと実感している。
内容の詳細は箇条書きで簡単にまとめておく。
日々の読書をやめた
読書の習慣づけはよいものだと思っていたが、優先順位を考え、いまは不要であると判断した
外部からの刺激を減らす施策を複数打った
SNSアプリをアンインストールした。あるいは滅多に投稿しないようにした
僕の場合、投稿へのリアクションが注意資源を最も浪費するので、そもそも投稿しないことにした
ニュースの通知は来ないようにし、自分から見たいときしか見ない
GTDの見極め処理(Clarify)をしているとき、一切のBGMを聞かなくなった
1日で最もカロリーを使う時間なので、自然とそうなった
他にもいまこれをやろうというときはBGM、PodcastやYouTubeのながら聞きなどをなくすようにしている
不要なものは捨てるようにした
服や家具といった物理的なものもそうだし、データでも
いらないものはすべて捨てる、手放すようにしている
ブログ記事など作品作りは、あえて集中して長期間かけて行う
自分も集中できることを再確認している
この記事も自室で時間をかけたり、数日間に分けて執筆と推敲を行っている
できていないがやりたいこと
PodcastやYouTubeのながら聞きをやめたい
ほとんどのコンテンツは実は消費する意味がないと思っている
しかし仕事中とかに寂しいので流してしまう
決まった時間や決まった目的以外でSNSやYouTubeを見ることをやめたい
すでに見るチャンネルを制限するようにはしている
時間の制限がかけられていない
実践がとにかく難しい
注意資源の管理について、素朴に思っていることがある。
なぜこんな簡単なことに、こんなにも努力をしなければならないのだろう?
そもそも、僕が大学生くらいの頃までは、こんなに努力をしなくても集中なんてできた。数学科にいた頃や、社会人2年目くらいまでは集中をするのに努力なんていらなかった。
しかしいまはこのような施策を打っていてさえ、十分な集中が得られていないと感じる。
実は、注意資源の管理が難しくなっているのは社会構造の要因があると主張する本がある。『奪われた集中力』というタイトルの本である。
まだ読んでいないが、ぜひ読みたいと思っている。この本に注意を向けて、自分の注意の向け方も振り返りたいと思っている。
注意をどこに向けるかは、どう生きるかである
結論めいたものの話をしよう。この記事では注意資源の重要性を語ってきた。
なぜここまで注意資源にこだわるのかといえば、注意資源こそが人生を作るからだ。
同じだけ時間があっても人生はもちろん同じではない。機会も平等ではない。
しかし、どこに注意を向けたいかで人生は十分に変わりうる。機会は選べなくても注意は選べるのだ。
そして注意の向け方が自分の意思に沿っているということは、自分らしく生きているということだ。
やりたいことをやればいい。それが簡単そうにみえる現代社会に僕らは生きている。
しかし、実際にはそれが難しい。注意を奪うものが、ものすごい量で毎日生み出されている。スマホの通知は常時鳴り、メールボックスは溜まるばかりだ。みんながみんなあなたに振り向いてほしくて叫んでいる。
あなたはあなたの人生を、それらから守らなければならない。
いまやりたいことがあるのに、その通知ひとつでショート動画を1時間見続けたり、Xを眺めたり、YouTubeをザッピングして3時間経ってしまったりする。
そんなことでは、あなたの人生を生きていない。
やりたいことのすべてを、一回きりの人生でやることはできない。ならばせめて、いまやることは自分の注意をフル活用して選びたい。
それが、よりよく生きるための第一歩だ。
MASASHI YAMAZAKIさんのこの投稿に胸を打たれた。
本気になったからこそ覚える感動があるのだと思う。節目を迎えて涙を流せるくらい、本気になって仕事や家族などに向き合いたいと心底思った。
めちゃくちゃビジネスパーソンみたいなことを言っていて自分でもちょっと嫌だが、正直これ以外にいい表現がない。



