日本語でだらだらと文章を書く生活を始めてはや6, 7年くらいになる。だけど、自分の文章の PV が伸びることなんて滅多にない。
note でこれはよく読まれたな、これは伸びるな(当社比で)と思う記事はだいたい 50~100 PV くらいで、100 を越えることがとても珍しい。バズろうと思って書いてもないし、見出しも意味がわからなすぎるし、文章が魅力的というわけでもないし、投稿時間を気にしてもいない。努力していないのでしょうがないことだと自分では思っている。
というかたくさんの人に読まれたいという意識が低すぎる。もう少し読まれる努力をするべきだと最近は思い始めている。コンテンツとか作品というのは消費されて初めて価値になる、と今更気づいた。
閑話休題。
そんな僕でも『貧困とセックス』という本の感想を書いたブログ記事に 1 日 2,000 アクセスきたことがある。これが人生最高記録だ。この記事は別に気合いを入れて書いた記憶は何もないんだけど、なんかスマートニュースとかから流入があって驚いた。
とはいえ、その記録はあっさり塗り替えられた。何が塗り替えたかと言うと Instagram に気まぐれにアップロードした 10 秒くらいの動画だ。
決してバズったわけではないが、寝て起きたら当たり前のように 3,000 ビューを獲得していた。
正直なところ驚いた。これは僕が人生で初めて公開した自分で撮った動画で、ほぼ編集もしてないのに、数千回だれかの元にこの動画がデリバリーされているのだ。
もちろん「バズる」ために必要なPV数の桁が違うので、数千オーダーでは全く話題にもなってない動画なんだろう。しかし数百デリバリーされればすごく良い方の僕のエッセイに比して、この動画がデリバリーされた絶対数は桁が違うという事実は重く受け止めるべきだと思う。
PV数の桁が変わるポイントを真面目に考えてみたがいくつかある。
メディアの違い
プラットフォームとアルゴリズム
言語の壁
順に見ていこう。
メディアの違い - 文章と動画
メディアがまず絶対的に異なる。文字を読むのと動画を見るのではリーチできる層が確実に違う。
文章を読むのは多くの人にとって苦行らしい。確かに僕も読もう、と思わないと読めない。Twitter は上にスクロールすればコンテンツが溢れてくるが、表示されたものを全て目に入れているかというと全くそんなことはない。
とにかく見出しなどを読んでもらってクリックというアクション、あるいは目を引くような画像や言葉を使って目に止めてもらわないと、コンテンツの中身に一切触れてもらえない。読者が主体的に「読もう」と思って初めてコンテンツが成立する。
もちろん流し読みという消費の方法もあるが、流し読みで消化できるのは相応の知識があることだけで、これまた読者の力量に依存する。
ってなわけで、文章は 1 PV までのハードルが高い。読みたい、読もうと思った人しかカウントがされないし、それでも最後まで読まれているかはちゃんと分析をしないとわからない。
一方で動画はそれに比べれば再生してもらうまでのハードルは低い。流し見、他のことを考えながら、ただつけているだけ、プラットフォームの自動再生で。いろんな状態が起こり得る。
動画コンテンツの裾野は幅広く、映画やドラマといった比較的集中して見るものもあるが、YouTube の動画などはそこまで熱心に見ることもない。気軽に再生してすぐ離脱もできる。PV のカウントとしては文章より増えやすい、と想像する。
プラットフォームによる最適化
特に TikTok や Instagram のリール動画には、動画を選択する主体性さえ必要ない。クリエイターをフォローする必要もない。
そのアプリを開けば、タブをタップすれば勝手に動画が流れ、スワイプすれば勝手に次の動画に切り替わる。次の動画もアルゴリズムが選んでくれる。
つまらなければすぐ次へ移動してしまえばよいが、1 秒未満であってもその動画コンテンツ自体にアクセスされる。
そこではサムネイルの経由さえもしない、剥き出しのコンテンツがアルゴリズムによってただ湯水のように注がれ続ける。
これはとんでもなく画期的なことだ(n年越しの感想)。ユーザーは一切の主体性を発揮することなく、その場に行けば自分の興味があるコンテンツを消費できる。どの動画を見ようか、どの記事を読もうか、どのクリエイターが好きか、自分で意思表示をする必要がない。
言語の壁なし
そして僕が投稿した動画には海外の方と思われるいいね!がそこそこついている。
そう、ショートビデオには言語の壁が存在しない。僕も英語やスペイン語を喋っている動画を見ることはあるけど、言葉が理解できるかどうかはあまり関係がない。見れば「わかる」のだ。
ここでもアルゴリズムが威力を発揮する。その人がどんなものに関心を持つ人かに合わせて、言語など関係ないコンテンツを提供する。
これらを総合した威力が、このなんの変哲もない動画の 3,000 ビューなのだ。
まとめ
文章と動画だと 1PV のハードルが全然違う
プラットフォームのおかげでデリバリーが最適化されている
文章と違い言語の壁が少なくプラットフォームの全ユーザーに届き得る
TikTok を見ていると、むき出しコンテンツで溢れかえっている。異常な空間だと思う。
でも文字通り世界とつながれる可能性がある空間でもあって、その先にある世界はきっと Twitter だとか Facebook だとかとは全く異なる世界なんだと思う。
同じ世界に生きているのに、僕らはいつも違う世界をみている。人は切り取られた世界の断面を観測することしかできない。
だからせめて、その観測できる断面の数を増やそうと思っている。僕は最近、違う「世界」に生きている人たちに興味がある。