情報が右から左へ、左から右へと流れていきなにも頭に入ってこない。
本を読もうにもなにも頭に入ってこない。音楽だけが心に沁みてくるような気がして、ただひとりで音楽を聴いている。
今までは会社をやめるというのは、寂しさもありつつもなんだかんだ新生活への希望もあるようなことだった気もする。
いまも新生活への展望がないわけではない。その気になればなんだってできるだろう。しかし、失ったものがもう戻らない悲しみも小さくない。
いくつか記事を書くテーマがたまっている。
働きやすいのはよいことか?
テクノロジーは世界を変えていない、人間が変わっているだけだ
アジャイル開発の実践が難しいのは、近代以降のビジネスの常識と違うから
良い人材を採用したいとは実は誰も思っていないのではないか
仮説の度合いが高いものもあるけれど、ぜひ書こうと思っているテーマだ。おそらく、この4つで4本このニュースレターが書けるだろう。1ヶ月分である。
しかし、全くいまの自分にこのような記事が書ける気がしていない。完全に燃え尽きている。
こういうときに、普通はなにをするのだろう。
僕はワークライフブレンドという概念をとても気に入っている。一言でいうと、私生活と仕事を区別して比重のバランスをとるのではなく、私生活と仕事を混ぜ合わせるという生き方だ。
すべてが仕事のためというわけでもないのだが仕事と私生活をあまり区別していなかった。私生活が仕事のためになり、仕事が私生活のためになるのが一番良いと考えている。
例えば、朝起きればスマートフォンでSlackを開く。会社で何が起こっているのかを見るためだ。
そしてSlackを見ながらもポッドキャストを流して日々の出来事や知識欲を満たせる番組を聞く。これは趣味でもあるし、同僚に雑談のネタを振るためでもある。英語のニュースを聞いていたのは英語を話す同僚がいるからだったのだと気づく。
休日や平日の夜は友だちとかと出かけることもあるし、技術者が集まるイベントに顔を出したりすることもある。実際イベントから仕事になったものもある。
さらに言うと本を読むことが多いが、別に仕事に関係のある本ばかり読んでいるわけでもない。歴史書を読んでいたらマネジメントに関する気づきが得られることもある。
こんな感じで、ありとあらゆる活動は仕事と関係ないようであるものだった。こんな形で混ぜ合わさっていたのだ。
しかし、わざとブレンドさせて溶け合わせていたものがぽっかりとなくなったときどうすればいいのかわからない。
だから先述の問いに戻る。こういうときに、普通はなにをするのだろう。
ソフトウェアの世界でも、分かれているものをひとつにするのは時間はかかるし大変なこともあるが意外と安全にできることが多い。しかし、ひとつのものを切り離すのは結構しんどいことが多い。
僕が設計をするときに、なにかを共通化したくなったら一瞬立ち止まるのはそれが理由だ。意外と、実は共通化してはいけないものかもしれないからだ。
ワークライフブレンドもそうなのかもしれない。一度ひとつになった仕事と生活が、自分の身体から失われていくのにそれなりに時間がかかりそうな気がする。
本当に辞めることなんて想像もしていなかったので、自分が思っていたよりもダメージを食らっていることに今更気づく。しばらく自分が使い物にならなそうだ。
今日は the engy の Sugar & Cigarettes
なんでこの曲なのかは、しずかなインターネットに書いたこの記事を読んでいただきたい。映画「わたし達はおとな」の主題歌だ。
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